MASATO KOBAYASHI + KENGO KITO
小林正人、鬼頭健吾
展覧会写真 by Shinya Kigure
Web版美術手帖 対談写真 by中島良平
本展で小林は、筆を咥えた馬の肖像画「画家の肖像(ペア)/ Portrait of the Artist (Pair)」と星空を想起させる「Unnamed 77」からなる、新作のペア作品2点を発表します。
これまで、小林のペア作品は、ペアでありながら作家の意思により同じ空間で発表される事はありませんでした。今回はペア作品を同一空間に展示!
異なる軌道を描き活動を続けて来た2人の作家の接近が生み出した磁力は、出会うことのなかった一対の絵画作品を引き合わせます。
多彩な色彩を放つ鬼頭健吾の絵画シリーズ「cartwheel galaxy」を挟み、画家の肖像は一点の「絵画」を見つめます。
「絵画空間」という言葉がある。一般的に、それは、現実の世界に対して、そこから隔絶した囲いのある領域、日常とは区別された別の世界が絵画のなかにつくられているかのように理解されているのではないだろうか。実際、17世紀に入り市民社会に広く浸透しはじめた「額縁」という存在は、絵画がつくりだす囲いや防壁としての機能を強化するものとして解釈されてきた。
しかし、絵画空間とは、実のところあらゆる空間に開かれた通路、通り道である。絵画は、たえず「世界」と交流し、そこに別の空間を差し出し、外的な環境とたえず交信しながら自らの存在を私たちの世界へと進出=滲出し、拡張する。絵画をつくることは「世界」を拡張することにほかならない。
たとえば、小林正人の絵画においては、画布と枠との有機的な一体感がすでに断ち切られていることがそれを象徴する。木枠は、絵画を「囲う」ものではなく、ときに外側に飛び出し、折れ曲がり、私たちの住む世界にたえず侵食、進出しようとする。同様に、描かれたイメージもまた、画布のなかから脱出しようとするかのように、息も絶え絶えになりながら、その身体を私たちのいるこの世界へと差し出しているように見える。
鬼頭健吾の絵画もまた、絵画内の空間に絵画が自足し切り閉じられること、枠のなかに閉じ込められることを拒否しているように見える。その絵画は、カラフルなオブジェクトを空間の全域に張り巡らせるそのインスタレーションと明らかに連続している。いずれにせよ、そこで平面は彫刻的にならざるをえず、絵画と彫刻との明確な境界は崩壊せざるをえないはずだ。そこに見られるのは、絵画をその外側の空間へと拡張する運動であり、現実空間を内側から食い破るように、空間にさらなる突出を試みる絵画のありようである。
だから、両者の作品から言うことができるのは、実のところ絵画とは内部と外部、絵画空間と現実空間、フィクションと実際などの区別を溶解させ、すべてをたえまなく交錯させる場である、ということだ(クラインの壺に、内/外の区別が存在しないように)。絵画を通して、「世界」が通底してしまう。絵画は、そのような「すべて」を包含し、さまざまな場を結合=統合しうるものとして存在する。そこに、「絵の力」がある。
【2023.1.31】
Web版美術手帖 対談記事公開:小林正人と鬼頭健吾。知己の二人が語る「二人展の特別感」が公開されました。是非ご高覧ください。
1957年東京生まれ。
主な展覧会に「この星の家族」シュウゴアーツ(東京、2021)、「⽣命の庭 8 ⼈の現代作家が⾒つけた⼩宇宙」東京都庭園美術館(東京、2020)、「百年の編み⼿たち−流動する⽇本の近現代美術−」東京都現代美術館(東京、2019)など。
鬼頭 健吾 | Kengo Kito
1977年愛知県生まれ。
主な展覧会に、「KAAT EXHIBITION 2022 Lines 鬼頭健吾展」KAAT神奈川芸術劇場(神奈川、2022)、「竹村 京・鬼頭 健吾 色と感情」ポーラ ミュージアム アネックス(東京、2022)、「Reconnecting」Japan House LA (ロサンゼルス、2021)など。
- 展示会名
- MASATO KOBAYASHI + KENGO KITO
- 会期
- 2022/12/10-2023/02/12
- オープニングパーティー
- 2022/12/10 Sat. 17:00-20:00
- 協力
- ShugoArts
- 作家名
- 小林正人、鬼頭健吾