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穴あきの風景

202408/17
202409/09

秋吉風人、鬼頭健吾、小林耕平、佐藤克久、田島秀彦、徳重道朗、渡辺豪

MtK Contemporary Artでは、8月17日(土)より9月9日(月)にかけて、秋吉風人、鬼頭健吾、小林耕平、佐藤克久、田島秀彦、徳重道朗、渡辺豪による展覧会「穴あきの風景」を開催いたします。

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1999年2月、当時の日本においてまだ珍しかったアーティストランスペースとして、同世代の若手作家と美術大学生により愛知県北名古屋市に誕生したアートスペースdot(ドット)。
本展覧会では、スペースの運営に携わったアーティストを中心に、秋吉風人、鬼頭健吾、小林耕平、佐藤克久、田島秀彦、渡辺豪の作品のほか、2023年2月に急逝された初期メンバーの一人である徳重道朗氏の作品を展示致します。また、本展覧会タイトルは、国際芸術祭「あいち2022」で徳重氏が行ったリサーチプロジェクト「穴あきの風景」からきています。
バブル経済破綻以降、失われた10年とも言われるこの時期に、どのようにしてdotは生まれ、それは、いかなる活動となっていったのか。
8月17日(土)のオープニングイベントでは、美術批評 小西信之氏と山本さつき氏を迎え出展アーティストとのトークセッションを開催。現地点からアートスペースdotの活動を再考します。

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90年代名古屋のコレクティヴィズム––––dotを回顧して

コレクティヴィズムとは、個人の力以上の何かをつくりだそうとする時に人々が生み出す共同体のことである。それは、圧政に立ち向かう民衆や、労働管理組合によるストライキ、既成の価値観に縛られた美術界に一撃を加える前衛芸術集団であったりする一方、SNSで拡大するエコーチェンバー、反体制派を取り締まる秘密結社、「隣組」、侵略戦争を行う国家そのものとすらなり得る。つまりコレクティヴィズムとは、善にも悪にもなり得る集団政治装置だととりあえずは言うことができるだろう。

20世紀以降のアートにおいて現れる共同体は、「洗濯船」、キャバレー・ヴォルテールからフルクサスを経てPLAYやルアンルパに至るまで、枚挙にいとまがない。そこで共同体は個人と集団という二極の間の何処かに位置する(これを資本主義と民主主義、自由主義と共産主義などと言い換えてもいいかもしれない)。個の創造性の揺籠としてのモダニズムの装置から、アートの概念を内破させようとする集団を経て、21世紀には、それでもアートに残った資本主義を徹底的に民主主義の下に制御しようとするコレクティヴィズムが現れる。

1999年に名古屋の若いアーティストたちが自分たちの発表の場所として、旧スーパーマーケットを改装して北名古屋市西春にオープンしたdotは、ある種のコレクティヴィズムに導かれて誕生したはずだ。首謀者の池野浩彰は、当地の今池アートフェスティヴァルなどの集団的発表活動を経て、名古屋の4つの(芸術)大学を跨いだアーティスト「集団」の力に魅せられただろう。この間、池野は、名古屋における村上隆の個展、イギリスにおけるダミアン・ハーストらが手がけたセンセーション展に影響を受け、アーティストたちが自らの力で––––既成のルートに乗るのではなく––––スペースをつくり、社会に対して表現をぶつけていくということに力を注いだ。折から東京では、「スタジオ食堂」がアーティスト・ラン型の新しいアトリエ=ギャラリーとして注目を集め、愛知県犬山市では有馬かおるが、昭和の古アパートをそのままギャラリーとして使う「アート・ドラッグ・センター」をオープンしていた。

これらの集団は、21世紀型の民主主義的コレクティヴィズムではなく、20世紀型のそれであっただろう。dotは、文字通り個々の「点」の集合であり、全員で何か一つの作品をつくるということはしなかったし、最初のグループ展以降は個展の連続であり、ひとまわりした後は、自分たちが何をすべきかは議論が空転し、機能しなかったのである。それでも、dotは自分たちの力でスペースを立ち上げ、大学出たての若いアーティストたちが社会に対峙していく初々しい空間となったのであり、名古屋において新しいアートのムーブメントが起こるのではないかという期待感をもたせた。しかしそれは、個々の作家たちのショウケースでもあって、1年とたたないうちに作家たちが次々と東京のギャラリーと契約したり、個別の活動をすることによって、数人のメンバーのアトリエとして継続したにせよ、自壊していかざるをえなかった。その意味では、メンバーの1人がオープニングの初日に近所の川で行った泥舟のイベントのように、直ちに沈む運命にあったのである。ただしそれが沈む前に発した一瞬の光が、メンバーを含むdot周縁にいたコレクティヴ(集団)にとって眩いばかりに一瞬輝いたのも事実であり、それは90年後半におそらく日本中で無数に立ち上がったであろうコレクティヴたちが経験したものだったのではないだろうか。dotはその中でも、名古屋で生まれたひとつの磁場となって、四半世紀たってもこうして回顧するのは、そこには未だ継続していくべき、あるいは継続している何かが、まだ埋もれているのかもしれない。少なくともdotはメンバーの中にまだ生き続けているのである。

令和6年8月15日 小西信之

 

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秋吉 風人 | Akiyoshi Futo

1977年⼤阪府⽣まれ。2003年名古屋芸術⼤学⼤学院同時代表現研究修了。2011年から18年までベルリンを拠点に活動し、現在は愛知県在住。2018年より名古屋芸術大学准教授。色というよりもむしろ現象に近い金の絵具で空間が構成される《Room》、絵具を積み上げる事で絵画と彫刻の境界を交差する《A certain aspect(mountain)》など、多様な素材とメディアを通して絵画という概念の解体と再構築を実験的に続け、複数のシリーズとして展開している。近年の主な個展に「Godchildren」(TARO NASU、東京、2024)、「22 Sep 2022」(CAPSULE、東京、2022)、「All for one」(SEXAUER、ベルリン、2018)、「if nothing else」(NON Berlin、ベルリン、2016)など。国立国際美術館や豊田市美術館他、海外でのコレクションも多数。

 

鬼頭 健吾 | Kengo Kito

1977年愛知県⽣まれ。京都市立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。フラフープやシャンプーボトルなど工業製品の現代的なカラフルさと、生命体や宇宙を感じさせるような広がりを癒合させた作品で国内外から高い評価を受ける。主な展覧会に「Lines 鬼頭健吾展」(神奈川芸術劇場〈アトリウム〉、神奈川、2022)、「big rip」(rin art association、群馬、2021)、「Full Lightness」(京都市京セラ美術館、京都、2020)、「cartwheel galaxy」(ガトーフェスタハラダ 本社ギャラリー、群馬、2018)など。

 

小林 耕平 | Kohei Kobayashi

1974年東京生まれ。愛知県立芸術大学美術学部油画科卒業。非人称的でミニマルなモノクロ映像作品を起点として、2007年頃には、空間に配置するオブジェクトや日用品、自身が出演する映像等に表現を展開させ、同時にモノや事象の関係性やその認識についての世界観を問い直し、変革を与えるような取り組みを行っている。
主な個展に「テレポーテーション」(黒部市美術館、2022)、「ゾ・ン・ビ・タ・ウ・ン」(ANOMALY、2019) 、「あくび・指南」(山本現代、2018)、「パランプセスト 記憶の重ね書き vol.4.小林耕平」(galleryαM、2014)。
グループ展に「ぎこちない会話への対応策−第三波フェミニズムの視点で」(金沢21世紀美術館、2021)、「所蔵作品展 MOMAT コレクション」(国立近代美術館、2019)、「切断してみる。ー二人の耕平」(豊田市美術館、2017)、「瀬戸内国際芸術祭」(伊吹島、2016)、「あいちトリエンナーレ 2016 虹のキャラヴァンサライ」(2016)、「アーティストファイル 2015 隣の部屋」(国立新美術館、2015)、「1974第一部 1974年に生まれて」(群馬県立近代美術館、2015)など。

 

佐藤 克久 | Katsuhisa Sato

1973年広島県生まれ。1999年愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。主な展覧会に、『コレクション展「小さきもの-宇宙/猫」』(豊田市美術館、愛知、2023)、「SHOUONJI ART PROJECT 28th 佐藤克久 うらおもて」(照恩寺、東京、2021)、「豊田市美術館 リニューアルオープン記念 コレクション展 世界を開くのは誰だ?」(豊田市美術館、愛知、2019)、「愛知県美術館リニューアル・オープン記念 全館コレクション企画 アイチアートクロニクル1919-2019」(愛知県美術館、愛知、2019)、「500m美術館vol.27「絵画の現在地」」(札幌大通地下ギャラリー500m美術館 、北海道、2018)、「あいちトリエンナーレ2016」(名古屋市美術館会場、愛知、2016)など。

 

田島 秀彦 | Hidehiko Tajima

1973年岐阜県生まれ。1998年愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。光の点滅や装飾的な文様を取り入れた平面作品や、プラスチックの玩具など既製品を組み合わせた立体やインスタレーションなど、日常と非日常を交差させる作品を制作。近年は、古今東西のタイルの装飾模様や幾何学文様など、色と線や文様を絵画空間にちりばめた作品を展開。主な展覧会に、「田島秀彦展」(ケンジタキギャラリー東京、東京、2008)、「楽園の少年」(アーバンリサーチ名古屋店、愛知、2009)、「What a wonderful world」(豊田市美術館レストラン七州、愛知、2009) 、「ありふれた素晴らしい日々」(ケンジタキギャラリー東京、東京、2010) 、「ポジション2012」(名古屋市美術館、愛知、2012)、「愛知ノート −土・陶・風土・記憶−」(愛知県陶磁美術館、愛知、2015)、「窓から人へ」(ケンジタキギャラリー、愛知、2016)、「あいちトリエンナーレ2016 虹のキャラバンサライ 創造する人間の旅」(愛知芸術文化センター、名古屋、旧石原家住宅、岡崎、2016)、「1つと6つの余白」(ケンジタキギャラリー、愛知、2019)など。

 

徳重 道朗 | Michiro Tokushige

1971年愛知県生まれ。1999年名古屋芸術大学大学院美術研究科造形専攻絵画制作研究修了。会場をなんらかの風景に見立て、その場所の特性を巧みに活かしたり、場所の意味を引き出したりするインスタレーション作品などを制作。主な展覧会に、個展「ゆきゆきて神戸」(兵庫県立美術館アトリエ1、兵庫、2020)、グループ展に「パラランドスケープ”風景”をめぐる想像力の現在」(三重県立美術館、三重、2019)、あいちトリエンナーレ地域展開事業「Windshield Time-わたしのフロントガラスから 現代美術 in 豊田」(豊田駅周辺の様施設、愛知、2019)、Assembridge NAGOYA 2016「パノラマ庭園 ─ 動的生態系にしるす─」(ポットラックビル及び名古屋港─築地口界隈、愛知、2016)、「Diamonds Always Come in Small Packages」(Kunst Museum Luzern、スイス、2015)などがある。

 

渡辺 豪 | Go Watanabe

1975年兵庫県生まれ。2002年愛知県立芸術大学美術研究科油画専攻修了。愛知県立芸術大学大学院在籍中より3DCGを用いた作品の可能性を探求し始める。2002年にポリゴンで構成された顔にヒトの皮膚画像を貼り付けた作品《フェイス》を発表、《フェイス(“ポートレート”)》シリーズへと展開していく。2009年頃からは同様の手法を用いながらも、モチーフを作家自身の身の回りにある本や食器、部屋などへと移し、身近な風景が物質的な制約や光学的な法則から離れて動き、変化をみせるアニメーションを制作している。近年は展示空間をアニメーションから延長される場所と捉え、複数チャンネルのインスタレーション作品を発表するなど表現の幅を広げている。作品がもたらす整合性を欠いた物の在り様や光の振る舞いは、普段自明のものとして見ている世界を撹乱し、私たちが何を見ているのかを静かに問いかける。主な展覧会に、「個展」(游庵Annex、東京、2022)、「所在について」(ANOMALY、東京、2022)、「〈ひとつの景色〉をめぐる旅」(KAMU tatami、石川、2021)、「ディスロケーション」(URANO、東京、2018)など。

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寄稿文:

『ガロと風景』
渡辺豪(アーティスト)

「穴あきの風景」によせて
愛知のこと、dotのこと、京都からみ(え)た風景

髙橋耕平(アーティスト)
 

展示会名
穴あきの風景
会期
2024/08/17-2024/09/09
開廊日時
月曜日〜土曜日 10時〜18時
協力
ANOMALY
KENJI TAKI GALLERY
TARO NASU
トークイベント
8月17日(土)15:00-
オープニングパーティー
8月17日(土)15:00-18:30
作家名
秋吉風人、鬼頭健吾、小林耕平、佐藤克久、田島秀彦、徳重道朗、渡辺豪
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